「東京を頂く」?頂いてみろ!

「東京を頂く。」

これ意味わかりますか?w

53階建てのマンションを謳う、
勢いのあるコピーです。

まぁこれだけなら、
よくあるマンションポエムだなーってところなんですが、

ところがこの「頂く」の右上に、
小さく「※1」とあるのです。
欄外を見ると、こう書かれていました。

「『東京を頂く』とは、
都心立地・駅直結により数々の東京の魅力を手に入れる生活や、
本物件より東京を見晴らす生活を追求し、表現したものです」

……律儀に説明されると、途端に威勢が消えてしまいます。

私はセールスコピーライターとして、
日々「売れる言葉」を書く仕事をしています。
だからこそ、このギャップがたまらなく可笑しく感じられるのです。

こうした広告は、揶揄して「マンションポエム」と呼ばれています。
都心の高級マンションを売るために不動産会社が作る広告コピーが、
あまりに情緒的・詩的になっていることを揶揄した呼び方です。

たとえば「誇りを、此処へ。」というコピーにも、
同じように注釈がついていました。

「『誇り』とは、ここに住宅の創造を目指した住まいへの想いを表現したものです」

誇りの説明に、また「誇り」という言葉を使っている。
これでは何も説明していないのと同じです。
あなたなら、こんな注釈を読んで、
そのマンションに魅力を感じるでしょうか。

なぜ、こんなことが起きるのでしょうか。

想像するに、広告制作の会議のどこかで、
営業部隊の誰かがこう言ったのではないでしょうか。

「このコピーですけど、もしお客さんが本気で
『東京を頂けるんだ』と思ったらどうするんですかね」

もっともな指摘です。
誤解を避けたい気持ちは、私にもよく分かります。

けれど、ここで立ち止まって考えてみたいのです。
そもそも、注釈をつけないと伝わらないコピーは、
コピーとして成立しているのでしょうか。

広告コピーとは、読んだ瞬間に意味が伝わってこそ意味があります。
「東京を頂く」という一文の下に、わざわざ
「これは比喩表現であり、実際に東京を所有できるわけではありません」
という趣旨の説明を添えなければならないのだとしたら、
それはもう、コピーが自分の力で立てていないということです。
杖をついて歩いている状態を、歩けていると言っているようなものです。

これは、マンション広告だけの話ではありません。
私が気になっているのは、こうしたマンションポエムの存在そのものが、
「広告コピーとはこういうものだ」という誤解を広めてしまっているのではないか、
ということです。

雰囲気のある言葉を並べる。
うまい言い回しやダジャレを効かせる。
詩的に、なんとなく格好よく仕上げる。

マンションポエムを見ていると、
それが広告コピーの正解であるかのように錯覚してしまいます。

けれど、実際に世の中で売れてきた広告コピーを思い出してみてください。

「あなたは面接でこんな間違いをしていませんか?」
「私がピアノの前に座ると皆が笑った。でも弾き始めた瞬間——」
「飛行機に乗っている時、絶対に、決して食べてはならないもの!」

雰囲気だけで押し切っているものは、ほとんどありません。
ダジャレに頼っているものも、まずありません。
誰が読んでも、意味が一瞬で刺さる。そういう言葉ばかりです。

正直に言うと、私はこのコピーを読んだ時、
電車の中でしたが笑ってしまいました。
いい年をした大人たちが、
真剣な顔で「誇りとは何か」を会議で議論している。
その様子を想像すると、それだけで愉快です。

けれど笑いながらも、ふと考えます。
雰囲気やダジャレに頼らなくても、
意味が一瞬で刺さる言葉は書けるはずです。
むしろ、それができていないから、
雰囲気で誤魔化す必要が出てくるのではないでしょうか。

今書いているコピーは、誰が読んでも刺さる言葉になっているでしょうか。
それとも、雰囲気でなんとなく伝わった気になっているだけでしょうか。
あなたなら、どちらだと思いますか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください